20代サラリーウーマンが突然会社を休む事になったのは

20代サラリーウーマンがうつ病と診断されてから日々を振り返る記録です。

療養3ヶ月目の過ごし方

 

こんにちわ、ぽこぽんです。

 

 

少し書き方を変えます。

ブログってやっぱり続けるのが難しい。笑

 

いつか誰かが検索したときにこのブログにたどり着いて、

「他にもこんな風にうつになっちゃった人がいるんだ」

とか、”自分だけじゃないよ感”が

なんとなく伝わればいいかなと思います。

 

そして自分の振り返りの備忘録としても続ける!(; ・`д・´)

 

 

 

タイトルの通り、

療養3ヶ月目の過ごし方。

 

このころになると、

大変なやる気に満ち溢れていた。笑

 

やっぱり笑うことが多くなったのか、

ネガティブな考えがだいぶ蒸発したような感じ。

 

だから仕事のことを考え始めた。

 

あの時はどうしても

「自分がミスしたらお客様の信用を失って

会社のブランドを汚してしまうのでは。。。

もう発注してくれなくなるのでは。。。」

という考えで頭が埋め尽くされていた。

 

たぶんこれを読まれている方は99%知っているであろう

名の通った企業で働いているので、

自分がその名を背負って営業をしていると、

過剰なプライドを持っていました。

 

 

療養中、落ち着いて考えることができるようになると、

私のミスで何十億のビジネスが途端になくなるなんて、

 

 

絶対にありえない、と思えるようになった。笑

 

本当に笑っちゃうぐらいありえないわ。

 

もっと大変な不具合とかあったし、

復帰後に重大なミスをしてしまったときもあったけど、

絶対にどうにかなる。

悪意と相当な役職がなければ

クビにならないし降格にもならないよ。

 

 

上司もずっと言ってた。

「例えば、明日社長が死んだとしても、

明日会社が倒産することはない。

それでも会社は回るんだから。」

 

まさしくその通り。

 

だから気負わなくていいはずなのだ。

 

 

仕事のミスや、期限に間に合わないことが多くて、

それで焦って毎日がパニック状態だったけど、

療養中は、

「なんであの時はできなかったんだろう」

と思うぐらい、

解決策が色々と浮かんだ。

 

 

なぜか

「できる!」

と思うようになった。

 

 

そして

「仕事に戻りたい」

と思うようになった。

 

 

上司への連絡は相変わらず両親がしてくれていたが、

両親経由で仕事への復帰の話も上司から連絡があった。

 

ちょうどゴールデンウイーク明けから復帰しては?

という話だった。

 

私はもちろん不安もあったけど、

その提案を受け入れた。

 

 

3か月での復帰は早すぎると、

職場の人たちから反対されたらしいけど

当時の上司は押し切った。

 

その時は3か月分、年休で休んでいたから、

事実上は「休職」でも、

キャリア上では「年休消化」。

 

休職扱いになると、

人事に管理されるようになり、

まどろこっしくなるからということで、

休職になる前に職場に戻してくれようとしてくれたみたい。

 

それは私のノーウェルカムだったので

ありがたかった。

 

 

 

休みながらこのとき考えていたことは

「なぜかパワーが有り余る」ってこと。笑

 

何もせずに毎日を過ごして、

熟睡しようと思うと、

なかなか難しい。

 

そしてやる気が出てきたとき、

「自分の力を発揮したい」

と思うようになる。

 

書きながら不思議に思うけど本当にそう思った。

 

エクセルを使いまくる仕事だったので、

エクセルの勉強を始めたり、

タイピングを早くする練習をしたり、

ボールペン字をやってみたり。。笑

 

自分のスキルを磨こうと

とにかく色々やって、

毎日を過ごした。

 

 

こうして

お医者さんにも許可をもらい、

一人暮らしの部屋へ戻り、

少し体を慣らしてから、

職場に復帰できた。

 

 

 

やっぱり3ヶ月は休むもんだな。

そしたらパワーが有り余るから。笑

 

 

 

今もすごく焦るけど、

とりあえずゆっくり考えていこうと思います。

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

ぽこぽん

療養2ヶ月目の過ごし方

 

こんにちわ。ぽこぽんです。

 

姉がインフルエンザにかかったので、

1週間ほど母のマンションで甥っ子の面倒を見てました。

0歳8ヶ月だからまだまだ可愛い。めっちゃ癒されました。

 

 

今日は療養2ヶ月目の過ごし方です。

 

このころになると、

薬が効いてきたのか、

だいぶと元気になりました。

 

ずっと

「申し訳ない、申し訳ない」

と思っていた気持ちも

だいぶ落ち着いてきました。

 

色んな人に会うようにして、

かなり笑顔も増えました。

 

 

この時に一番大きかった変化は、

犬を飼い始めたことです。

 

昔から犬を飼いたいと思っていたのですが、

ずっと親に反対されて飼うことができませんでした。

 

大人になったので(笑)、

「自分で世話代も全て出すから」

という話もしましたが、

何より、

”癒しの力”が最強でした。

私がそれで元気になるなら、ということで

許してくれた部分のほうが大きかったと思います。

 

 

ポメラニアンを見ていたのですが、

あるペットショップで

「この子!」

という女の子のクリーム色のポメラニアン

新しい家族として迎え入れました。

 

名前を決めるとき、

私が、栗っぽい色をしてるから「マロン」にしようと話をしていましたが、

父が、

「『まろ』でいいやん」

という一言でまろに決まりました。

 

なぜ父に決定権が?(笑)という感じでしたが、

なんやかんや私も気に入ってました。

 

それからは毎日まろと遊んですごしていましたが、

それがもう至福の時でした。

 

ペットは昔にハムスターとか飼ったことはありましたが、

初めての犬のペットでわからないことも多く

「水ちゃんと飲めてるかな?」

「ピョンピョン跳ぶけど脚の骨折れてないかな?」

とか、ハラハラすることもありましたが、

それも全部癒しでした。

 

動物セラピーとかそういうことは考えずに飼い始めましたが、

結果的にそういう事だったのだと思います。

 

体調はぐんぐん良くなりました。

 

たぶん幸せホルモンが毎日醸成されていたんでしょうね。

 

 

こうして元気を取り戻していきました。

 

 

動物セラピー、おすすめです。

 

犬を飼うのはハードルが高い人でも、

ハムスターぐらいなら、

始めやすいかもしれないです。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

ぽこぽん

療養1ヶ月目の過ごし方

 

こんにちわ。

 

ぽこぽんです。

 

 

昨晩は寝付けず4時に寝て、朝11時(もはや昼)に起きるという

とても生活リズムが乱れております。

 

でも昨日できなかった部屋の掃除ができたからよし。

 

前回の話の続き。

 

うつ病と診断され、

実家に連れ戻されてからの3か月、

家で過ごしました。

 

初めの1か月目、

とんでもなく暗い毎日でした。

 

毎日毎日、

罪悪感と申し訳ない気持ちと

自分に価値はないと

そういう気持ちが無限ループしていました。

 

 

働きながらもうダメだと酷い落ち込みが続いていたころ、

食事は3食とっていましたが、

全部、同じ味でした。

土の味でした。

土、食べたことないんですけど。笑

 

 

とにかく動かないといけないから、

人間の生活サイクル上、

ただ食べ物を体内に入れるという”行為”でした。

 

 

あんなに食べることが大好きだったが私が・・・?

と思いますが、

普通は食欲不振になるって聞くから、

まぁ、そこはやっぱり食欲があったんだと思います。

 

 

少し話がそれましたが、

そんなことがあったので、

母の料理を食べたときにやっと、

「ご飯の味がする。。」

と思ったことを覚えています。

 

 

帰省するたびに母の料理にじーんときていましたが、

その時はいつも以上に、

すごくすごく美味しく感じました。

 

 

病院は父が調べたところに行き、

やはりうつ病の診断でした。

(診断書があったからなのかな?)

 

 

女の先生でしたが、少し強気な先生で

あんまり相性は良くなかったかなと振り返ります。

でもその時は相性とかわからないし、

隣で母が聞いている中、

勤務が苦しく、自殺を考えた話を

泣くのをこらえるけれども涙があふれながら

お話ししました。

 

また、診察室とは別室で

心理テストを受けました。

たぶんググったら出てくると思いますが、

白い紙に木を描くテストです。

線の太さとか幹の太さ、枝があるか、実がついているかとかで、

色々わかるみたいです。

 

私は昔から木を描くときは

だいたい同じ描き方なので今回もいつも通り描きました。

幹が太くて葉っぱはもこもこしてる感じの木です。

あとリンゴか何かを描いたような気がします。

 

描き終わって、

臨床心理士の人から後で説明を受け、

「こんなりっぱな木を描ける人はあまりいない。」

と言われました。

 

普通はもっとほっそい線でひょろひょろした木を描くらしいです。

 

そして

「母の愛情に包まれたいという欲望がある」

みたいなことをおっしゃいました。

 

確かに、私は何かヘバることがあるとすぐに母に電話したり、

昔から甘えんぼさんでした。

家での母の手料理が死ぬほど美味しく感じたように

母がいると安心するのでした。

 

「そういう深層心理がわかるのか」

と思いながらもその時は聞いているだけでした。

 

 

そうして薬を処方されました。

初めは漢方薬でしたが、

軽いじんましんのようなものが出て、

普通の錠剤に変わりました。

 

初めての薬が最後までずっと同じ薬だったか忘れましたが、

レクサプロとエリスパンという薬を飲んでいました。

 

「こういう病気って薬で治るもんなん?」

と不思議に思いながら飲んでいました。

 

 

もう本当に、

ぼーーーーーーーっと

過ごしました。

 

 

ぼーっとするのが治療と言われて

それも理解できなかったけど、

でもそれ以外に出来ることがないので、

そうしていました。

 

 

少し人と喋れそうとなってきたころ、

人に会いたくないという感情は特になく、

むしろ仲の良い友達に会いたいと思っていました。

 

 

だから友達や同期にはすぐに打ち明けました。

 

 

みんなとても心配してくれましたが、

やっぱり

「大丈夫だよー」

って答えるしかないですね。

 

 

すぐに会えそうな友達は時間を合わせて

会ってくれました。

共感してくれたり、

逆にいつも通りネタにしてくれたり、

笑って過ごすことができました。

 

 

そうやって1か月目をゆっくりと過ごしました。

 

 

今日はここまで。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

ぽこぽん

初めてのうつ病

 

こんにちわ。

 

ぽこぽんです。

 

今日は日中は部屋の片づけをしようと思っていたができず、

何とかジムに行ってきました。

 

運動が好きでジムに行ったり、家の近所をランニングしたりして、

ストレスを発散させるのが自分流だったのに、

多忙と冬の季節も重なり、5か月ぶりぐらいに行けました。

 

 

 

今回は私が前の職場で、初めてうつになった時の話を書きたいと思います。

(長いです。そして暗いです。)

 

私は営業として入社しました。

私はちゃんと意思を持って入社しましたが、

残念ながら希望の分野と勤務地とは全く違う、

全く興味のない畑に配属となりました。

(業界と勤務地は伏せさせていただきます。)

そこは会社としても力を入れようとしている分野で、

その第一線の営業所に配属ということは、花形部署ということでした。

噂によると、その年でメンタルが強い順から配属される部署らしい。笑

 

本当に興味のない分野への配属だったため、

残念で仕方なかったけど、

初めて営業所の玄関のドアをくぐる時、

社員証を「ピッ」とかざしてドアが開くのを見て、

「憧れの社員の一員になれたんやなぁ。これからがんばろ!」

とやる気に満ち満ちていたことを覚えています。

 

営業の前に業務研修があり、発注業務や伝票処理を担当しました。

その時に指導員としてついてくださった先輩(♀)は、

太陽のように明るく元気な方で、

上品なのに、the関西人みたいなツッコミとか、

すべらない話を持っているとか、とても気さくで、

業務中も私が何度も同じことを聞いてしまっても、

丁寧に教えてくれて、

本当に素敵で尊敬できる方でした。

 

その先輩含めだいたい40代の女性の先輩たちがほとんどで、

でも持ち前の人当たりの良さで(自分で言うか!?)

わいわい楽しくやっていました。

 

2つ上の同年代の女性の営業の先輩もいて、

家も同じアパートですっごく仲良くさせてもらってました。

 

入社して1年3か月後、

業務研修を終えて正式に営業として仕事をすることになりました。

(業務研修の前も色々と初期研修があって、そこは会社として手厚い)

仕事は、同年代の先輩が結婚退職するということで、

その内容を引き継ぎました。

引き継いだ途端に担当していた製品が不具合を出しており、

初めてのお客様訪問で、攻め立てられてボッコボコにされました。笑

 

それは本当に一つの出来事で

他にももっとやばい案件もありました。

そんなことがありながら、

何とかやってまいりました。

わけわからないままやるしかねぇ!って感じで

がむしゃらにやってました。

 

当時の上司はあまり解決策を指南してくれる人ではなく、

3か月して上司が変わりました。

次の上司がこれまたデキる人でして。

超難関な課題や問題が起きても、

スーパー手際よく丁寧に対応できる人でした。

営業だから外向きの仕事ができるようにと、

内部の報告用のまとめとかは、なるべく削減するように

仕組みづくりをしてくれていました。

 

 

本当にいつからだったかわからないけど、

私の中で不安は少しづつ募っていき、

憂鬱な気持ちが雪だるま式に大きくなっていたのだと思います。

 

 

まず、営業になり仕事量が一気に増えました。

新人には多すぎる仕事量だったと思います。

一人で100ぐらいの品番を担当して、

それぞれに課題や開発がありました。

なので、一つ終わっても、はい次ー!って感じで、

達成感を得る、ということがなかったように思います。

 

 

そして期限が守れないことが多くありました。

自分が終わらせられないということもありましたが、

人に頼んでいることもやってもらえない。

全然難しいことを頼んでいるわけではなく、

頼んでいる人もいっぱいいっぱいで手を付けられていない状態でした。

常に何かに追われるような毎日になりました。

 

 

そうやって謝ることやできない事が増え、

また人に何度も催促するのもパワーが必要で、

正直心身ともに疲れていました。

でも努力が足りない、私の先輩方はもっとできるのにとか、考えていました。

あと、周りが忙しくて聞けないという状況が作用しました。

それでどんどん一人で抱え込むようになりました。

 

 

きっかけは本当になく、でも毎日、

「自分は役に立てていない、迷惑をかけて申し訳ない」

と思うようになりました。

 

 

会社でも明るく努めました。

もともとそういうキャラだったし、

心配されるのも申し訳ないと考えていました。

 

 

読み終わらない大量のメール。

完成しない見積もり。

返信のない請求書。

 

 

会社を22時に出て、帰りにコンビニに寄って、

炭水化物系のどんぶりやら甘いものやらを

夜遅くに食べてました。

行きつけがファミマだったので、

Tポイントが1500ポイントぐらい溜まりました。笑

 

 

会社から帰って、家でも仕事するようになりました。

でも朝から働いて22時に帰ってきて、できるわけないですよね。

出来ずに寝てしまったときは、

「ああ、出来なかったー」

とさらに落ち込むという、完全な負のループでした。

 

 

上司には迷惑をかけたくないという気持ちがあって相談できず、

家族に相談はしていたものの直接解決になるわけでもなく、

もう私はいっぱいいっぱいでした。

 

 

期限内に終わらないことが、

何よりも嫌でした。

嫌というか、不安でした。

それが何個もありました。

 

 

そしてこの状況をどうやって抜け出せるのかわからず、

「死んだほうがいい」

と思うようになりました。

 

 

毎朝、

「今日で死ぬからどうなってもいいや」

と仕事に臨むようになりました。

逆にそっちのほうが、焦らなくて楽に仕事が出来ました。

でも気持ちはものすごくどん底です。

 

 

具体的に死ぬ方法を考えました。

包丁を手首にあててみたり、

柱から首をつってみようかとか。

 

 

でもいつも両親の顔が思い浮かび、

実行できずにいました。

 

 

毎日、寝る前までパソコンを開いてそのまま寝落ちして、

目が覚めたそばからパソコンを見始めるという

本当に洗脳されてるんじゃないかっていうぐらい、

起きてる時間がすべて仕事でした。

 

 

そしてある日の朝、いつものように目覚めと同時に

パソコンのメールをチェックしました。

請求書のハンコをお客様にお願いしていましたが、

その日に返信がないともう処理が間に合わないという状況でした。

メールをチェックすると返信がありませんでした。

 

 

私はパニックになり、

「死のう」

と思い、本当に包丁を手に持ちました。

 

 

頭に両親の顔が浮かびました。

 

 

一人暮らしだったので、

もし私が死んで両親が見つけたら、

「ショックで悲しむだろうな。。」

と考えると、涙があふれて止まらなくなりました。

 

 

上司に電話で

「会社に行けません。」

と泣きながら伝えました。

 

 

両親にも

「もう無理。」

と泣きながら電話しました。

 

 

両親は仕事がありましたが、

急きょ休みを取って、

私のところに駆けつけてくれました。

 

 

私の尋常じゃない様子を見て、

両親は私をすぐに心療内科に連れていき、

お医者さんから

「重度のうつ病です。」

と言われました。

 

その時は泣きじゃくりすぎて、

どんな先生だったか、

なんの話をしたのか、

全く覚えていません。

 

 

こんな状態だったのに自覚はなく、

「自分がうつ病?」

と思いました。

 

 

でも、病気とわかったときに

なんだか納得したというか、

ちょっとだけ楽になりました。

 

 

自分でもなんでこんなに落ち込むのか、

不明だったのも苦しかったため、

”病気のせい”に出来たことが少し安心できたのかもしれないです。

 

 

 

その日はただひたすら、

申し訳ない気持ちでいっぱいで、

悲しみの感情100%で、

上手く話すこともできなかったけど

お母さんに

「なんでかわからないけど涙が止まらない」

と本当に1日中ずっと泣いていました。

 

 

悲しくても感動しても、

親の前で泣くことなんて、

昔からなかったので、

こんなに泣いている私に

お母さんは特に驚いていました。

 

 

夕方になって、

上司と、ずっと気にかけてくれていた女性の先輩(先述とは別の先輩)が

家に来て、両親と話し合いをしていました。

 

 

もう私は何も出来なくなっていました。

話を聞いているだけでした。

その日のうちに私は実家に連れて帰らされました。

 

 

これが私のうつ病発端の経緯です。

 

3年前なので記憶が曖昧で

どのくらい憂鬱だったのかとか、上手く書けていませんが、

圧倒的なオーバーワークが原因なのは間違いありませんでした。

 

 

とまあ、過去の事なのでスラスラ書けますが、

今自分で書きながら「やばいね」って思いました。笑

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

ぽこぽん

うつが再発したようです。

 

はじめまして。

ぽこぽん(♀)です。

 

25歳の時に「重度のうつ病」と診断され、

突然会社に行くことができなくなりました。

 

会社を休み、治療をしながら仕事復帰、部署異動を経て2年、

「もう大丈夫ー!」と思っていたら、

それから1年経った今、

 

再発したようです。

 

このブログでは、過去の自分の人生や出来事を振り返って、

自分と向き合いながら整理していきたいと思います。

 

そんな中でいろんな意見や考え方に触れて、

回復に向かえばいいかなと思い始めました。

 

 

今は会社をお休みさせてもらってます。

(やはり罪悪感はすごくある。。)

 

そしてこういう何か新しいことを始めてみるとか、

典型的なパターンだよねって自分で思うわ。笑

 

って感じでできるだけ落ち込まなないように

笑い飛ばしながら、でも無理せずたまに落ち込みながら、

書いていきたいと思います。

 

まずは簡単に自己紹介から。

 

 

ニックネーム:ぽこぽん

年齢/性別:28歳女性(独身)

出身地:関西

職業:大手メーカーの会社員

好きなこと:ランニング、ジム、本屋でうろちょろ斜め読み

 

 

昔から明るく元気で活発な少女でした。

学級委員もやってたし、運動部で副キャプテンもやってたし、

体育祭ではセンターで踊る、みたいな

いわゆるムードメーカー的な感じでした。

 

自分自身も目立ちたがり屋なところは少しあり、

でも人見知りがすごく出るときもあって、

「自分はどっちなんだろー」と今でも思ってます。

 

 

大学は関西の私立大学に進学しました。

卒業後、自分が一番行きたいと思っていた大手メーカーに就職しました。

就活は苦労しました。

50社ぐらい受けて、1つしか内定もらえなかったから。笑

でもその1つが本命の会社だったのは、

幸運だったなぁと思います。

 

そして意気揚々と入ったこの本命の会社で

うつ病になるのです。

 

次回は初めてうつになった時の話を書きたいと思います。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

ぽこぽん