20代サラリーウーマンが突然会社を休む事になったのは

20代サラリーウーマンがうつ病と診断されてから日々を振り返る記録です。

初めてのうつ病

 

こんにちわ。

 

ぽこぽんです。

 

今日は日中は部屋の片づけをしようと思っていたができず、

何とかジムに行ってきました。

 

運動が好きでジムに行ったり、家の近所をランニングしたりして、

ストレスを発散させるのが自分流だったのに、

多忙と冬の季節も重なり、5か月ぶりぐらいに行けました。

 

 

 

今回は私が前の職場で、初めてうつになった時の話を書きたいと思います。

(長いです。そして暗いです。)

 

私は営業として入社しました。

私はちゃんと意思を持って入社しましたが、

残念ながら希望の分野と勤務地とは全く違う、

全く興味のない畑に配属となりました。

(業界と勤務地は伏せさせていただきます。)

そこは会社としても力を入れようとしている分野で、

その第一線の営業所に配属ということは、花形部署ということでした。

噂によると、その年でメンタルが強い順から配属される部署らしい。笑

 

本当に興味のない分野への配属だったため、

残念で仕方なかったけど、

初めて営業所の玄関のドアをくぐる時、

社員証を「ピッ」とかざしてドアが開くのを見て、

「憧れの社員の一員になれたんやなぁ。これからがんばろ!」

とやる気に満ち満ちていたことを覚えています。

 

営業の前に業務研修があり、発注業務や伝票処理を担当しました。

その時に指導員としてついてくださった先輩(♀)は、

太陽のように明るく元気な方で、

上品なのに、the関西人みたいなツッコミとか、

すべらない話を持っているとか、とても気さくで、

業務中も私が何度も同じことを聞いてしまっても、

丁寧に教えてくれて、

本当に素敵で尊敬できる方でした。

 

その先輩含めだいたい40代の女性の先輩たちがほとんどで、

でも持ち前の人当たりの良さで(自分で言うか!?)

わいわい楽しくやっていました。

 

2つ上の同年代の女性の営業の先輩もいて、

家も同じアパートですっごく仲良くさせてもらってました。

 

入社して1年3か月後、

業務研修を終えて正式に営業として仕事をすることになりました。

(業務研修の前も色々と初期研修があって、そこは会社として手厚い)

仕事は、同年代の先輩が結婚退職するということで、

その内容を引き継ぎました。

引き継いだ途端に担当していた製品が不具合を出しており、

初めてのお客様訪問で、攻め立てられてボッコボコにされました。笑

 

それは本当に一つの出来事で

他にももっとやばい案件もありました。

そんなことがありながら、

何とかやってまいりました。

わけわからないままやるしかねぇ!って感じで

がむしゃらにやってました。

 

当時の上司はあまり解決策を指南してくれる人ではなく、

3か月して上司が変わりました。

次の上司がこれまたデキる人でして。

超難関な課題や問題が起きても、

スーパー手際よく丁寧に対応できる人でした。

営業だから外向きの仕事ができるようにと、

内部の報告用のまとめとかは、なるべく削減するように

仕組みづくりをしてくれていました。

 

 

本当にいつからだったかわからないけど、

私の中で不安は少しづつ募っていき、

憂鬱な気持ちが雪だるま式に大きくなっていたのだと思います。

 

 

まず、営業になり仕事量が一気に増えました。

新人には多すぎる仕事量だったと思います。

一人で100ぐらいの品番を担当して、

それぞれに課題や開発がありました。

なので、一つ終わっても、はい次ー!って感じで、

達成感を得る、ということがなかったように思います。

 

 

そして期限が守れないことが多くありました。

自分が終わらせられないということもありましたが、

人に頼んでいることもやってもらえない。

全然難しいことを頼んでいるわけではなく、

頼んでいる人もいっぱいいっぱいで手を付けられていない状態でした。

常に何かに追われるような毎日になりました。

 

 

そうやって謝ることやできない事が増え、

また人に何度も催促するのもパワーが必要で、

正直心身ともに疲れていました。

でも努力が足りない、私の先輩方はもっとできるのにとか、考えていました。

あと、周りが忙しくて聞けないという状況が作用しました。

それでどんどん一人で抱え込むようになりました。

 

 

きっかけは本当になく、でも毎日、

「自分は役に立てていない、迷惑をかけて申し訳ない」

と思うようになりました。

 

 

会社でも明るく努めました。

もともとそういうキャラだったし、

心配されるのも申し訳ないと考えていました。

 

 

読み終わらない大量のメール。

完成しない見積もり。

返信のない請求書。

 

 

会社を22時に出て、帰りにコンビニに寄って、

炭水化物系のどんぶりやら甘いものやらを

夜遅くに食べてました。

行きつけがファミマだったので、

Tポイントが1500ポイントぐらい溜まりました。笑

 

 

会社から帰って、家でも仕事するようになりました。

でも朝から働いて22時に帰ってきて、できるわけないですよね。

出来ずに寝てしまったときは、

「ああ、出来なかったー」

とさらに落ち込むという、完全な負のループでした。

 

 

上司には迷惑をかけたくないという気持ちがあって相談できず、

家族に相談はしていたものの直接解決になるわけでもなく、

もう私はいっぱいいっぱいでした。

 

 

期限内に終わらないことが、

何よりも嫌でした。

嫌というか、不安でした。

それが何個もありました。

 

 

そしてこの状況をどうやって抜け出せるのかわからず、

「死んだほうがいい」

と思うようになりました。

 

 

毎朝、

「今日で死ぬからどうなってもいいや」

と仕事に臨むようになりました。

逆にそっちのほうが、焦らなくて楽に仕事が出来ました。

でも気持ちはものすごくどん底です。

 

 

具体的に死ぬ方法を考えました。

包丁を手首にあててみたり、

柱から首をつってみようかとか。

 

 

でもいつも両親の顔が思い浮かび、

実行できずにいました。

 

 

毎日、寝る前までパソコンを開いてそのまま寝落ちして、

目が覚めたそばからパソコンを見始めるという

本当に洗脳されてるんじゃないかっていうぐらい、

起きてる時間がすべて仕事でした。

 

 

そしてある日の朝、いつものように目覚めと同時に

パソコンのメールをチェックしました。

請求書のハンコをお客様にお願いしていましたが、

その日に返信がないともう処理が間に合わないという状況でした。

メールをチェックすると返信がありませんでした。

 

 

私はパニックになり、

「死のう」

と思い、本当に包丁を手に持ちました。

 

 

頭に両親の顔が浮かびました。

 

 

一人暮らしだったので、

もし私が死んで両親が見つけたら、

「ショックで悲しむだろうな。。」

と考えると、涙があふれて止まらなくなりました。

 

 

上司に電話で

「会社に行けません。」

と泣きながら伝えました。

 

 

両親にも

「もう無理。」

と泣きながら電話しました。

 

 

両親は仕事がありましたが、

急きょ休みを取って、

私のところに駆けつけてくれました。

 

 

私の尋常じゃない様子を見て、

両親は私をすぐに心療内科に連れていき、

お医者さんから

「重度のうつ病です。」

と言われました。

 

その時は泣きじゃくりすぎて、

どんな先生だったか、

なんの話をしたのか、

全く覚えていません。

 

 

こんな状態だったのに自覚はなく、

「自分がうつ病?」

と思いました。

 

 

でも、病気とわかったときに

なんだか納得したというか、

ちょっとだけ楽になりました。

 

 

自分でもなんでこんなに落ち込むのか、

不明だったのも苦しかったため、

”病気のせい”に出来たことが少し安心できたのかもしれないです。

 

 

 

その日はただひたすら、

申し訳ない気持ちでいっぱいで、

悲しみの感情100%で、

上手く話すこともできなかったけど

お母さんに

「なんでかわからないけど涙が止まらない」

と本当に1日中ずっと泣いていました。

 

 

悲しくても感動しても、

親の前で泣くことなんて、

昔からなかったので、

こんなに泣いている私に

お母さんは特に驚いていました。

 

 

夕方になって、

上司と、ずっと気にかけてくれていた女性の先輩(先述とは別の先輩)が

家に来て、両親と話し合いをしていました。

 

 

もう私は何も出来なくなっていました。

話を聞いているだけでした。

その日のうちに私は実家に連れて帰らされました。

 

 

これが私のうつ病発端の経緯です。

 

3年前なので記憶が曖昧で

どのくらい憂鬱だったのかとか、上手く書けていませんが、

圧倒的なオーバーワークが原因なのは間違いありませんでした。

 

 

とまあ、過去の事なのでスラスラ書けますが、

今自分で書きながら「やばいね」って思いました。笑

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

ぽこぽん